2016年11月10日木曜日

トランプ氏の勝利に寄せて

昨日の白熱した米国大統領選は圧巻だった。
打ち合わせがあったため、そのニュースを知ったのは、ちょうどクリントン氏がトランプ氏に電話を入れた後あたりだったようだ。

私は、政治には詳しくない。全然。

ただ、今回の大統領選を見ていて感じたことがいくつかある。

いろいろある。

しかし、今は、ある一つのことが強く心に渦巻いている。

それは、トランプ氏に決定した後に発せられたコメント。

「トランプ氏は、政治家としての公職の経験がなく、軍人の経験も持たない、最初の大統領です。そして 70才という歴代最高齢です」

という部分である。メディアによるこのコメントは、暗に彼を批判するネガティブなコメントに聞こえる。

しかし、と私は思う。「だれでも最初は初めてなのだ」

これは私が駆け出しだったころ、当時お世話になった会社の社長さんが私を励まして教えてくれた言葉だ。

米国大統領選についてこれを言うつもりはないけれども、それに近い思いを感じる。

なぜなら、

もし上述のだれかのコメントが正しいのなら、どうして、経験者の中から、大統領にふさわしい人が出てこないのか。

おそらくそれに近い思いが米国内で爆発して今回の結果につながったようにも思える。

めずらしく私は政治の件で気持ちが高揚した。

トランプ氏にエールを送りたい。(彼を無条件に支持するという意味ではなく)

Make America Great Again. をぜひ実行してほしい。

日本は、彼の施策によって苦境に立たされる場面がいろいろ出てくるような気がする。しかし、日本の政治家のみなさんには、それにひるむことなく、また媚びることもなく、正々堂々と対峙してほしい。

正しい未来は苦しみの中から生まれる。

今回の件で、世界は大きく変わろうとしている。

そして今回の件は、私にも大きな勇気を与えてくれた。

何歳であろうと、経験が有ろうと無かろうと、チャレンジすることの大切さを教えてくれた。

米国に幸あれ。

世界平和に大きく貢献されることをを祈って。

2016/11/10
- MK







2016年10月29日土曜日

下取りの難しさを痛感

先週末、2年ほど乗らずに倉庫に保管してあった自転車(ロードタイプ)を下取りに出そうとして、ネットで調べたのだけれど、いや〜、難しい。
どこへ電話しても、(当然だが仕様などを聞かれる)細かく説明して、メールで写真を送っても、あまりはっきりした答えをもらえない。
結局、査定に来てもらうか、持ち込むか。いずれにしてもそこで買い叩かれる、というのがおおかたの口コミ情報。まあ、どこまで本当だか、自分でやってみるしかないとは思うのだけれど。

ただ、総じて思うことは、提示された概算はどこも非常に低い、ということ。
なんで自転車の買取りはこんな安いんだろう?楽器のほうがまだ全然まともだと思う。

逆に中古車販売価格を調べると、その何倍もの値段で売られている。
もちろん、なにかと手間がかかるから、そのマージンが乗せられるのは当然だが、それにしてもその乖離はちょっと大きすぎると感じた。

今後、こうした中古商品ビジネスはますます旺盛になっていくだろうけれど、中古自動車や PC のようにすでに確立されて理屈に合うシステムが出来上がっている場合を除いては、しばらくは指針の見えない、業者の言いなり状態が続くんだろうと思う。

「これなら、オークションに出したほうがマシだ」という意見もかなり見受けられる。その通りだと思う。ただ、オークションに出展するのは面倒で気が引ける。

結局、だれか友人か知人に差し上げることを思案中。

「処分代行業」のようなものがあって、そこへ依頼すると、そこが最も条件の良い取引を探してくれて、一定のマージンを取る、というような、商売が出て来るのではないかと期待する今日このごろ。

「保険の窓口」みたいな感じ?行ったことないけど。

 2016/10/29

- MK



2016年10月26日水曜日

クレジットカードを持たなくなるのか?(だけどパナマ帽と葉巻は残ってね)

Suica くらいなら、Android で登場した時から使っているから、iPhone に Suica を入れて使うことには何の抵抗もないけれど、はたしてクレジットカードはどうなんだろう?

「もうプラスティックのクレジットカードは無くなる」というニュースを見かけたが、どうも話が飛躍し過ぎているような気がする。

例えば、何か重要な場で、支払いをする時には、クレジットカードを渡したほうがスマートではなかろうか?

レストランのテーブルでクレジットカードを渡す。
それはひとつのスタイルであり、その時に「iPhone をかざす」という姿は、どうにもマヌケに思えてしまう。たぶん私が古い人間だからかもしれない。

きっとそうだ。

だけど、パナマハットや葉巻が無くならないように、プラスティックのクレジットカードもしばらくは無くならないだろう。少なくとも私が生きている間くらいは。



この写真は、Painting&Poetry さんから拝借しました(勝手にスミマセン):
http://wkeiji.blogspot.jp/2010/09/blog-post_12.html
カッコイイ。



2016

- MK

2016年10月25日火曜日

Apple Pay:Suica 付きの VIEW カードの Suica は使えないです



三井住友VISAカードから、こういう案内メールが来たので、さっそくトライ。


VIEW からも案内あり。

Wallet アプリを起動すれば、簡単に登録できそう。
しかし... こういうことがあるので、まずは iOS を最新版にアップデートしてから作業しましょう。


さて、案内メールの画像にこのように American Express の写真が使われていたので、



American Express カードを Wallet アプリにかざして読み込ませようとしたところ、





と言われてしまいました... なぜ?
考えている時間が惜しいので、確実そうな(勝手な想像)VIEW カードでトライ。今度は成功。

こうして使えるらしい。

 
問題は、Suica。
もともと私は Android 端末でおサイフSuica を使っていたので、カードをどこにしまいこんだか、わからない...


VIEW カードには Suica 機能もあるんだけれど、その付属 Suica は使えない。あくまでも、コテコテの Suica カードが必要らしい...





今、一つ、疑問が生じた。
Android のおサイフ Suica も元はコテコテのカードから移行したものだったような気がする。そして、Android アプリでおサイフSuica の番号は確認できる。ということは、その番号を入れれば使えるのではなかろうか?
Hmmm...   でもなんか無理そうな感じ。やってみるだけ無駄のような。

面倒だから、明日どこかの駅でコテコテの Suica カードを1枚買おう。そのほうが早い。

2016/10/25

- MK


PDB を社員に配布しよう。

どう規制したところで、会社に自分の MacBook を持ち込む社員はいる。
私は、それは悪いことだとは思わない。
自分の使いやすいマシンを使うことが生産性にもつながるのだから、無理やり Windows マシンを使わせることは前時代的だ。

だから、持ち込み自由にして、会社で PDB を契約して Mac ユーザに配布すればいい。

セキュリティ?

SeP と PDB とを組み合わせれば、まず、情報漏洩は防げます。もちろん Mac は社内 LAN を使ってネットにつなげます。

3年後のことは私にはわかりません。ただ、今は、これが最も現実的な方法だと思います。

- MK

2016年10月24日月曜日

PULP(パルプ) by Charls Bkowski

Charles Bkowski(ブコウスキー)という作家をご存知の方は多いと思う。
恥ずかしながら、最近になって、ようやく、彼の遺作にして最高傑作と名高い Pulp(パルプ)を読んだ。

1990年代に発表された作品で、主人公は LA を拠点とした55歳の私立探偵。
酒と競馬だけが彼の人生。そこに、さまざまな依頼人が現れる。
対応の仕方は実にテキトーなのだが、最後はきっちり答えが出る。偶然にも。

彼は言う...

「人は死ぬために生まれてくる...」

「人はいつも何かを待っている。病院で。レストランで。クライアントの指示で...」

極めつけは、

「このレースはツイてなかった。今日はツイてなかった。今週はツイてなかった。今月は... 今年は... そしておれの人生は... フン... 」

一見すると暗い言葉ばかりだが、彼の手にかかると、これらの言葉が、実に軽快に、そして読む者に勇気を与えてくれる。そうだ。グタグタしていても始まらない。この瞬間を思うように対処すればいい。

最後の終わり方はよくわからなかったが、実にステキな本だった。きっと死ぬまで手放さないと思う。そして何度も何度も繰り返し読むことになると思う。

最近私は、本をどんどん捨てている。千冊以上あったはずだが、今はついに百冊を切るところまで絞りこんだ。


-MK
それでも私にとって最愛の作家は「坂口安吾」です。

2016年10月22日土曜日

情報過多の時代に。情報を遠目に眺める。

今に始まったことではないが、「情報過多」であることは否めない。
仕事柄 IT 関連の情報には目を通さねばならないし、経済ニュース、国際ニュース、政治ニュースなど、際限がない。まじめに見ていたらそれだけで一日終わってしまう。

それで、私は、いつのころからか、自分で「遠目読み」と呼ぶ方法で情報を眺めることにしている。文字通り、見ているデバイスがスマホであれ、タブレットであれ、パソコンであれ、文字が辛うじて読み取れるくらいまで離して眺めるのである。

かつ、「斜め読み」。どんどんすっ飛ばしていく。そして、「これは...」と思ったものだけちゃんと読む。その時間さえ無いときは、その情報を Evernote にでも貼り付けておいて後で読むようにしている。

一種の「取捨選択」。というか、どう見ても、不必要な情報のほうが圧倒的に多い。それをチェックするのは時間の無駄としか言いようがない。そうでなくても残された人生の時間は少ない。そんなものにつきあっていられない。

私の友人の一人は、今も、スマホを使っていない。もちろんタブレットなど持っていない。もしかするとパソコンも持っていない。それでも何不自由なく悠々と楽しく生きている。 余計な情報が入ってこないから自分なりの納得した生き方がしやすいのだろう。

情報は重要である。しかし、本当に自分に必要な情報は、ほんの一握りで、あとはどうでもいいことばかりだ。

しかし、膨大な情報の中から、有用な情報はチェックしておかねばならない。ここに問題がある。

だから、私は「遠目読み」「斜め読み」「すっ飛ばし読み」を実践している。

なにかの参考になれば幸いです。

 2016/10/22

- MK

2016年10月21日金曜日

あまり神経質にならずに付き合うインターネット

例えば、自動車産業。登場した当時は自動車メーカーが世界で 500社くらいあったらしい。例えば、電話。これが登場した時は、すさまじいショックだったと思う。

どちらも今となっては当たり前の「モノ」で、驚くようなことは少ない。

たぶんインターネットもしかり。
一つ違うのは、インターネットの場合、今後、あらゆる「モノ」に「情報」「コンテンツ」が流し込まれていくこと、かな。そしてそこに、今度こそ使い物になる AI が組み込まれてくる。

それに躍らされることなく、適度に、自分に合った利用の仕方をしていくことが大切だ。面倒な時代といえば面倒だが、しかたない。人は生まれる時代を選べない。

最近、他の惑星で生命体が発見されたとか、他の惑星への移住だとか、そうしたニュースをよく見かけるようになった。

それも 30年も待たずに当たり前のことになるのかもしれない。

ともあれ。現代に生きる我々の課題は、インターネットをいかに心地よく使いこなすか。あまり神経質にならずに。

人は生まれる時代を選べない。

2016/10/20

- MK



2016年10月20日木曜日

バッテリーセーブにも貢献する NetBarrier(ネットバリア)

ユーザの意思とは無関係にバックグラウンドで、何かが動いてどこかと通信しようとすると、アラートを出してくれます。

例えば、この例。これは Adobe 社の Core Sync というプログラムですが、ユーザが気付かないうちに動作しています。





この Core Sync というのはけっこう負荷が大きいようです。
Applech2.com さんが下記のところでベンチマークも取って詳細に説明されています:

http://applech2.com/archives/39058299.html

この Core Sync は多くの中の一つの例です。

特に MacBook においては、バッテリーの消費はとても気になる重要事項です。

NetBarrier のこの機能は、気付かないうちに情報を抜き取られることを阻止することはもちろん、そういうプログラムによる無駄なバッテリー消費を抑える効果も期待できます。

NetBarrier の詳細情報・ダウンロードはこちらへ:

http://tyomac.com/net_barrier_x9/

2016/10/19

- MK





2016年10月19日水曜日

情報漏洩の 80% は内部犯行(または過失)である事実と Mac について

Mac が会社の LAN に接続されるパターンを考えてみると、大きく2つに分かれます:

1)個人所有の MacBook を会社に持ち込み、それで仕事をしているケース。
2)明確に会社の業務で Mac を使っているケース(例:WEB デザイン)。

いずれの場合にも、適切に管理されているかどうかは大きな問題です。

例えば、AD (Active Directory) や SC (System Center) によって、確実に把握・管理されていれば良いのですが、なかなかそこまでしっかり実行されているケースは少ないようです。特に中小企業ではそうした管理の専任者を置くことは難しいでしょうし、従って、情報漏洩という観点からすると、非常に危険な状態にあります。

情報漏洩の 80% は内部犯行という統計が出ています。残りの 20% が外部からのハッキングです。
例えば、USB メモリやスマホにコピーして持ち出す。
メールに添付して社外に送信する。
個人のクラウド・ストレージにアップロードする。
印刷して持ち出す。
など。

こうした、内部犯行(または過失)による情報漏洩は PC はもちろん Mac でも起こり得ます。
 
PC においては、さまざまなセキュリティツールが存在し、情報漏洩を防ごうとしています。しかし、それでも、なぜこれほど情報漏洩の事件が多発するのでしょうか?それは、従来の情報漏洩対策システムが脆弱である、の一言に尽きます。
 
また、「Mac は管轄外」というような安易な考え方が拍車をかけています。

私は、この一年間、米国で開催された複数のセキュリティカンファレンスに参加して、これらのことを痛感しました。



結局のところ、マーフィーの法則にも言われている;

"If there's more than one way to do a job, and one of those ways will result in disaster, then somebody will do it that way."
「作業の手順が複数個あって、その内破局に至るものがあるなら、誰かがそれを実行する。」
 
 

というのが人間なのでしょう。つまり、手順やルールを決めても、限界がある、ということです。

そこで、我々が考えたのは、「手順やルールは往々にして守られない」ということを前提に対策を考案する、ということでした。そして出来上がったのが、ハミングヘッズ社開発の SeP(セップ、Security Platform)です。


さて、本論に入りたいと思います。

act2 は 25 年以上に渡って Mac を軸にしたビジネスを展開してきました。もともとは個人用のマシンであった Mac がオフィスに進出していくのは、微笑ましく、時代の潮流を感じてきました。

そうした中で、劇的なインターネットの進歩と利用率によって、そこでの犯罪も激増しました。act2 は Intego 社と提携し、如何にしてそれを軽減するか、ともに取り組んできました。

こういう状況の中で、ひとつの発見がありました。それは、PC 用の SeP を導入すれば Mac からの情報流出も防ぐことができる、という事実です。


SeP を導入すると「信頼領域」という概念が作られます。その中においては、何の不自由もなく、いちち暗号化する面倒もなく、その存在すら気付かないほどです。

そして Mac は、その信頼領域には入りません。(LAN には接続しますからインターネットは使えます。)
すると、どんなファイルであれ、Mac にコピーや Mac を経由して送信されようとする情報は、そのアクションの段階で自動的に AES 256 の暗号化が施され、したがって意味のないファイルになります。

つまり、
AD も SC も、よくわからないから入れていない、アンチ・ウイルスソフトを入れているくらいで、特別に情報漏洩対策もしていないという社内システムにおいても、SeP を導入するだけで、PC からも個人的に持ち込んだ Mac からも、会社のファイルを持ち出すことは不可能になるのです。80% の内部犯行(または過失)による情報漏洩はこれで防ぐことができます。

会社にとって情報漏洩は非常に大きなリスクです。情報漏洩は刑事事件であり、警察に届け出る義務があります。そして、それがいつどのようにして起きたのか、分析して報告する義務があります。その作業には、専門会社に依頼せざるを得ず、その費用は作業量に依存しますが数百万円は覚悟しなければなりません

そんなリスクを放置したまま経営を続けますか?

SeP は本来、Mac は考慮して開発されていません。PC を対象にして「信頼領域」を作り、それ以外はすべて「否信頼領域」となり、従って、Mac を持ち込んでも安心できるのです。(Mac は LAN に接続していますからネットを使うことはできます)


ですから、全て PC で構築しているオフィスはもちろんのこと、PC と Mac が混在しているオフィスにおいてもぜひご検討ください。内部犯行(または過失)による情報漏洩は確実に防止できます。
 

この件にご興味のある方、特に経営レベルの位置にいらっしゃる方は、ぜひご相談ください。実際の経験者である私がお伺いして、細かい説明をさせて頂きます。(ご相談はもちろん無料です)
 

お問い合わせは下記専門メールアドレスへお願いいたします:



2016/10/18

- MK
act2 代表
 

2016年10月18日火曜日

キエフの友よりメッセージあり(ロシアとの戦い)

キエフの友人から FB で連絡があった。
国(ウクライナ)の東側でロシアと揉めているらしい...

大切な友人だから、くれぐれも無事でいてほしい。

祈ることしかできないけれど。

無事でいてほしい。

2016/10/18

- MK

2016年10月17日月曜日

ホームデバイスのかたち

Amazon Echo...
Google Home...

この形態は、時間の問題で、当たり前になると思う。

そこで思うことは、Apple はどうするのだろうか?

Apple Home とかいうものでも出すのだろうか?

2016年(今年)の CES においては、出展していないにもかかわらず、Amazon Echo が最大の話題になった。

2017年の CES も近い。

キーワードは AI になるんだろうけれど、Apple はどう動くのか?

2016/10/17

- MK

2016年10月8日土曜日

私の TYPE-C MacBook のバッテリーの実態(固有不良か?)

昨日のこと。

11:30 から某カフェにて MacBook(2016年型)を開き、気がつくと 13:30。

2時間経過か。

で、バッテリーの残りは... 52%....

え? テキスト打ちしかしていないのに、こんなん?

MacBook Air のほうがずっとバッテリーはもつよね。

バッテリーのサイズが違うからしょうがない、とは思うけれど、
この数値は明らかに悪い。

この MacBook 固有の問題なんだろうか??

知人に聞いたらジニアスバーへ持っていったほうがいい、とのこと。
やはり、固有の問題なのだろうか...

HyperJuice の宣伝をするためにこれを書いているわけではないけれど、
これじゃあ、心もとなくて、多少重くても Air を持って歩いたほうがいい...

最近、AC コンセントの使用を制限するカフェも増えてきている気がする。
最初から用意していないところも多い。

そうなると、たとえ出張ではなくても、一日外出の際には、このマシンではムリ。

軽量、スマート。見た目はカッコイイけれど、このバッテリーでは話にならない。

iPad + キーボード という手もあるか...

やや不安。

あれ、残り、もう 45% になってる...


2016/10/08

- MK

2016年10月7日金曜日

おサイフケータイの利用率は下がっている?

自分は iPhone とおサイフスマホの両方を持ち歩いているけれど、
先日、某友人から、
「おサイフスマホって、もう古いなあって思うよ」
と指摘され、少々愕然とした。

そうか... もうおサイフケータイは古いのか...
たしかに、昔ほど見かけなくなった気もする。

昨日も初台の地下鉄のゲートのところでしばらく観察していたのだけれど、たしかに、Suica カードばかりで、スマホで通り抜ける人はほとんどいなかった。

iPhone 7 から搭載された Suica 機能はけっこうウケると思うのだが、
案外、そうでもなかったりして。

自動チャージとそれに対応するカードの問題かな、とも思う。

で、

たしかに、従来のおサイフケータイの利用率は下がっている。統計データも出ている。

自分も機種変更のたびに、そこにいれるおサイフ機能が減っていっている。

最近は EDY もあまり使わなくなった。

結局 Suica だけあれば事足りる、ということか。

おサイフケータイのネックは、振り返ってみると、機種変更のたびに厄介な、移し替えの作業だったような気がする。

iPhone 7 の Suica はきっと、iPhone 8 に機種変更する際も簡単にできるんだろうなぁ。個人的にはそこに大きく期待している。

Apple Pay が使えて、VISA が使える。

もう、それだけでいいか。

とも思う今日このごろ。

2016/10/07

- MK


2016年10月6日木曜日

Intego 社との会談(どの程度の自動化が望ましいか、どの程度のコントーラビリティを提供するべきか。)


今日、Intego 社と会議を持った。
定例会であり、忌憚のない意見交換の貴重な会議だ。

Intego のヴィジョン、act2 のヴィジョン、市場の感触、今後のロードマップ、等々、
いろいろ話題には事欠かない。

どの程度の自動化が望ましいか、どの程度のコントーラビリティを提供するべきか。

以前に、X6 というバージョンがあった。それはとてもマニアックで、コントローラビリティは極めて豊富だった。

ところが、その次のバージョンで、Intego 社はそれらをそぎ落とし、言ってみれば「安直な操作」仕様に切り替えた。
あの時、世界的には、Intego 社は一気に、そっちへ舵を切ったわけだが、私は、粘り強く、日本では X6 仕様も合わせて販売を続けることに合意してもらった。日本だけの特例だった。

その理由は、X6 を必要としているユーザさんが多くいたからだ。

今日の X9 はさらに、UI 的には簡略化されている。
しかし、それについては私も異論はない。それどころか、その方向性に全く同意である。

主たるプラットフォームがモバイルに移行し、 その利便性、機能性は PC やノートPCを凌駕している。

NotePC (MacBook) がなくなるとは思わない。それどころか、まだまだ増え続けると私は見ている。ただ、話題性において、モバイルが優っているために、昔ほど話題に上がらないだけだ。箸やフォークが古来から変わらないように、ノート型のパーソナルコンピュータもかなりの精度で完成の域に達してきていると思う。

もちろん、Amazon の Alexa に見るように、まったく新たしい形態が台頭してくることは明白だ。しかしだからといって NotePC が消えるとは思えない。

つまり、デバイスの多様化であり、普遍化であり...

そうした中で、セキュリティはどうあるべきなのか?

サイバー犯罪はますます増大するのは間違いない。
そこには、極めて高度なテクニカルな手法が使われることもあれば、まったく単純な詐欺的手法であったりする。

犯罪とその未然防止... これはいつの世の中でも不可避な課題だ。

「Mac はセキュリティ面で安全だから」ということを聞くことがある。
はたして本当にそうだろうか?

一方で、「ハックされてもかまわい」という考え方もある。

あまりにも、さまざまことが多様化して、Intego にかぎらず、開発会社は照準をどこに合わせればいいのか、非常に難しい時代だ。しかしこれは皆に共通の課題だからしょうがない。

現在の Intego 社の Netbarrier(ネットバリア)の仕様はファイアウォール機能自体の強化というより、設定の自動化を重視している。

接続先に合わせて、自動的にファイアウォールの設定を切り替えてくれる。
それでいいと思う。と同時に、モバイルが主流の今日、この機能は必須だ。

また、明確には謳っていないが、ホワイトリスト的な設計がなされており、Mac OS においては、実に、最適なセキュリティツールだと思う。

MacBook のモバイラーの方は是非入れておいてほしいと思う。
犯罪は、起きてからでは遅い。犯人が捕まったところで、被害はもとには戻らない。
犯罪を未然に防ぐこと。
ネットセキュリティに限らず、 自衛するしかない時代に、私たちは生きている。

2016/10/06

- MK

NetBarrier(ネットバリア)詳細は こちら(Tokyo Mac サイト) へ


2016年10月5日水曜日

東京が好きなのに、息苦しい...

友曰く;

おまえはもう便利でクリーンな世界に慣らされてしまって、いろんな意味で免疫が無くなっている...



たしかにそうかもしれない。

田舎のほうへ釣りに行って、民宿に泊まったりすると、未だに和式のトイレだったりするが、そうなると、もうダメだ。

特に海外出張などは、いつでも開いていて安心して行けるコンビニが近くに無いと不安になる。
ホテルのトイレにウォシュレットが付いている可能性は低い。それだけで、げんなりしてしまう。

東京の便利さとクリーンさはたぶん世界一だと思う。
それに慣らされてしまっているのだ。


なのに、この息苦しさはなんだろうか?

例えば、伊東や大阪へいくと、なぜかホッとする。


東京は人が多すぎる?
早く歩きすぎる?
すべてが商売につながっていて安心できない?
どこにいても何かしらの騒音が耳に入る?
なにかにつけて最先端でなければならない?
いつも何かに追われているような強迫観念みたいなものを感じる?

考え出すといろいろな理由はつけられる。

だけど、東京が好きだ。

なのに、息苦しい。

へんなジレンマだ。

少なくとも、自由だけは手放したくない。

うちのスタッフにもそうあってほしい。

生き方は人さまざまだけれど、みな、納得して生きてほしいと思う。

2016/10/05

- MK

2016年10月4日火曜日

なぜ自分の命は生き残ったのか?(副題:死ぬ間際において重要なものは)

急性汎発性腹膜炎
acute generalized peritonitis


「あと1日遅かったら、手遅れだったでしょう…」

淡々と語られたM先生の言葉は、
手術の状況を知らされて、決して大げさな表現ではないことを知った。


J病院にかつぎこまれて早々に、M先生から3つの選択肢の説明があった;
1つは縦方向の開腹、
1つは横方向の開腹、
そして最後に、開腹をしない腹腔鏡手術。

後で知ったことだが、このところG大学病院が腹腔鏡手術にこだわり何人も失敗している例が問題視されていた。
「現代ビジネス」誌でも

死亡者続出!体への負担は少ないが、命の保証もない「腹腔鏡手術」はこんなに危険です(上)
という記事が出ている。

Google で検索すれば、その危険性を指摘する見解はいくらでも出てくる。
たぶんそれを意識して、M先生の説明は、
「我々は方法論には何もこだわっていません。最優先に考えていることは、如何に患者さんの身体へのダメージを最小限にくい留めて手術を完遂するか、です」というものだった。
そしてそれが腹腔鏡手術だった。

上述のように世間で問題視されている中で、この手術方法を躊躇なく選択をする度胸には、後日、感嘆した。それはよほどの自信とそれなりの覚悟が無ければできないことだと思う。






あの晩...
もしあの激痛が5時間早く来ていたら、自分は朝までもたず、気絶し、そして絶命していたわけだ。
それが奇跡的に、意識が朝までもってくれた。

最初から119番はするつもりは全くなかった。その理由は、急患で運び込まれるのは、どこへ運ばれて、どのような対処をされるのか全くわからず、的はずれな嫌な経験しかないため、どんなに苦しくても119は呼ばず、朝を待って、前々日に点滴および血液検査をしてくださったK先生の病院へ行くことしか頭になかった。まず、あの苦痛の中で、意識も朦朧としてる中で、よく8時間ちかくも留まったものだと我ながら思う。

それにしても、あと5時間、あの激痛が始まるのが早かったら、朝までには気絶しそのまま絶命していたはずだ。そのギリギリのタイミングが最初の奇跡だったかもしれない。


そして、翌朝、K先生の病院が開くのを待って、タクシーで運んでもらった。
前々日の血液検査の結果がちょうど上がってきており(前日は祝日だったため)、
それと照らし合わせながら私の様子を見て、K先生はすぐにどこかへ電話をかけ始められた。


「腹部の張り具合。炎症反応を示す CRP値は正常値の数百倍。どう考えても腹膜炎の可能性が高い。最悪、"急性汎発性腹膜炎” の懸念がある。だとすると一刻の猶予もない」

これがK先生の判断で、電話の先は内科外科で評価の高いJ病院。そこに腕のよい友人のM先生が勤務されている。
二入の間にホットラインがあるのだろうか。すぐにつながって、K先生はJ病院への紹介状を書きながら、M先生に状況を説明し、手術体制をすぐにとって待機してほしい旨を依頼されていた。


自分はぼんやりする頭の中で、「ああ、手術か…」と考えならが、K先生の判断だからすべて任せよう。と単純に思った。まさか、それほど危機的な状態だとは自分では認識がなかった。

このK先生の判断と素早い手配が二つめの奇跡だったように思う。

おりしもお盆休みを控えた週末で、本来はどこも急患をいやがるのは暗黙の常識だ。そんな時期に、こんな手配をあっという間に整えてくださったK先生の判断力と力量には恐れ入った。(自分はそうした人脈があるということを自慢したいのではない。事実を記録しておきたいだけだ)


そして自分はJ病院へ運ばれた。そのころには熱が40度近くになっており、意識は完全に朦朧としていた。これくらいになると視界さえもぼんやりしてくることを知った。まるで CG 加工でも施したかのように、M先生の顔がかすかに見えるだけで、それ以外は霧もやのようにしか見えない。それでも腹部の苦痛だけは容赦なく、自分はうめいていることしかできなかった。


すぐにストレッチャーに乗せられ、M先生からすぐに上述の説明があり、承諾書にサインしたのだと思う。記憶がない。しかし後日渡されたコピーには確かに自分の筆跡のサインがあった。


手術を実施するにはもうひとつ、家族の同意が必要だと言われ、Kの連絡先を書いた紙編を渡した。その後のことは記憶にない...


覚えているのは、その後、オペルームへ入った瞬間に目に入った5〜6名のオペチームの皆さんの姿。


手術室に入る前から点滴が施され、手術室に入った瞬間に全身麻酔が注入されたのだろう。
輸血のための血液型検査の結果を待つ時間も惜しかった、とはM先生の後日談。
それほど逼迫していたらしい。

それにしても、その突破力には恐れ入る。
このM先生の手術方法に対する判断力と突破力、これが3つめの奇跡だったように感じる。


しかし、実際は、M先生の予想通りには行かなかったらしい。
腹腔鏡手術はヘソからカメラやオペ器具のついたチューブを入れる。
M先生がそこで見たものは、虫垂が破裂し、膿と細菌に溢れ、侵された腹膜、そして、ところどころ破れた腸と、それらから流れ出た胃液、体液、食べ物… そうしたものが充満した「極めて稀に見る」最悪の状態だったらしい。


「このままでは、人手が足りない。除去が間に合わない...」
そう判断したM先生は仲間の腕利きのやはり内科外科のK先生に割り込み応援依頼をかけ、こちらの手術に加わってもらい、チームを再編成されたらしい。

後日、手術記録のコピーが渡されたが、そこには、ドクター(助手除く)だけで9名の名前が記載されていた。


「ギリギリの選択でした」とは、援護参加してくださったK先生の言葉。
「開腹するか、このまま続けるか…」


「開腹は避ける。この方法で行く」というのがその時の決断で、そのために、ドレナージュ設置が開始された。ドレナージュとは文字通り「排水管」のことである。点滴をガンガン流し、洗い流して、そのチューブから外へ排出する。そうして腹部内部を洗浄し、その間に、ところどころ破れた腸を縫合していく...


最初は2本のチューブが設置されたが、それでは洗浄が間に合わないことがわかり、ここでまた岐点が訪れた。

「開腹やむを得ず…」という意見も出たらしいがK先生の判断は、「チューブの追加」だった。腹部に2本のチューブが追加して差し込まれ、ドレナージュ(排出)用のチューブは合計4本になった。


経過を見守る… すると、今度は徐々に改善が確認された。それをもって、「この態勢を維持」が決定された。あとは、時間との戦いだ。


しかし、途中、血圧は何度も70を切り、呼吸も止まったりで、予断を許す状況ではなかったらしい。(手術後数日間声が出なかった。それを伝えると、何度も呼吸が止まってしまうから相当量の酸素を強制的に送り込んだ、だから気管支がちょっとかすれたかも、とのことだった)


こういうのを「生死の境をさまよう」と言うのだろうか。


ともあれ、このK先生の判断と強い意思、そして卓抜したオペ技術、これが4つめの奇跡だった。


そのような「最強の」緊急外科チームをもってしても、ドレナージュ設置まで3時間。その後数日かけて私の内蔵はきれいに洗浄され、腸は縫合された。




「あと1日遅かったら、手遅れだったでしょう…」



そこまで悪化し、ここへ来なければ、あの早朝もしくは、翌日に死んでいてもおかしくなかったわけだ。

「なぜ、こんなになるまでガマンしていたのですか?普通では考えられない」
その答えはここでは割愛する。

逆に自分は尋ねた。「そこまでなるまでにはどれくらいの日数がかかるものなんでしょうか?」
答えを聞いて驚いた「まず、4,5ヶ月は間違いなく、かかっているでしょう… だから不思議なんです、あなたがどうやってその間、耐えてきたのか… そしてそこまでさせた要因は何だったのか...」



手術中の記憶は、もちろん、何もない。
しかし、全身麻酔が切れだしたころ、さまざまな夢を見たことは覚えている。


不思議なもので、過去、思い出したこともないような場面や景色をいくつも見た。
大好きだった母方のばあちゃんも出てきた。
すでに亡くなっている両親はもちろん、姉、弟、離婚して相手方の籍に入った一人息子… 血縁以上の友人F。日頃自分をフォローしてくれているK。
不思議なのは、だれも何もしゃべらない。ただ、皆、微笑んでいるだけなのだった。


へ理屈的に考えると、
「三途の川」の淵まで行って引き返してきた、そんな感じがする。


今回のこの出来事を自分の中でどう整理すればいいのか?


確率的には死んでいた確率のほうがはるかに高い。
あの4つの岐路のどれか一つでも失敗していたら、今自分はここにはいない。
それぞれが 1/2 の確率であったとしても、2の4乗で、生き残った確率は 1/16 になる。



ただ、確かに苦しかった。あの8時間は、本当につらかった。拷問のようだった。「苦しい」という、うめき声が何回出たことか。しかし、もしあのまま、あと5時間「苦しい」とのたうち回っていれば、気絶して、そのまま死んだのだ。


死というものは意外とあっけないものだと知った。

あれくらいガマンすれば死ねるのか、とも言える。



自分は自分の命に連綿とする気持ちは昔から、無い。しかし、
陣頭指揮をとって、この生命を救ってくださったM先生には心から感謝している。
チームの先生方、アシスタントの方々にも心から感謝している。
入院棟で看護してくださった看護師のみなさんにも心から感謝している。
病院食が口に合わず、差し入れ担当をしてくれたKにも心から感謝している。

なにより、M先生をアサインして緊急オペをねじ込んでくださったK先生は命の恩人と言える。
なぜなら、あの時、119番や、過去に急患で対処してもらった病院へ行っていたら、たぶん、インターンの皆さんの実験台にされて、命を落としていたように思えてならない。よくても開腹オペで、後日、辛い日々が待っていたはずだ。



M先生の、あの柔和な外見からはとても想像できない、ここ一番の度胸と突破力...
本当の「プロ根性」を見た思いだ。



さて、


一度亡くした命。幸運にも蘇った命。如何にせん。



少なくとも、「生き方を変えよ」という暗示に思える。

これまでのMKは死んだのだ。

新しいMKを作らねばならない。

それはどんな形なのだ。

一度死んだのだから、もう怖いものは何も無いはずだ。




生死の境をさまよった日。

新しい命が蘇った日。


何が人の生死を分けるのか?
奇跡の積み重ねで助かった命。

なぜ、奇跡は4つも連鎖したのか?

なぜ、自分は生き残ったのだろうか...



すべては偶然のなせる技なのか?

だとしたら、この、日々の苦悩には何の意味があるのか?


人生観が大きく変わった。


あれ以来、朝、目がさめると、「今日が最後の日かもしれない」と思う。
そして、そう思うと、つまらないことでの焦燥感や怒り、ねたみ、などの負の気持ちが不思議と消えていき、「今できることは何か」に集中できるようになった。本来が合理主義なのだが、それに拍車がかかって、感情が無くなった人間のようだ。




明日が必ず来るという保証など、無い。

過去は捨てられた。もう存在しない。


だとすると、

今、この生きている瞬間瞬間にできることを、粛々と、やるしかないではないか。

故人いわく、

「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ。それだけだ」(サマセット・モーム:「人間の絆」より)


決して、投げやりになったのではない。
良い意味で、物事への執着心がなくなった。


自分はもう十分、自分の人生を生きた。すべて自分で判断し行動してきた。もう十分堪能した。未練は無い。

まして、死ぬ間際においては、たとえ、どんなにお金があろうと、豪邸があろうと、名声があろうと、名誉があろうと、何の意味もないことを、身をもって知った。


死ぬ間際において重要なものは、たぶん… 楽しかった思い出だけだ。
それは友であり家族であり恋人であり冒険であり旅であり...

生きるということは、たぶん、その程度のことだ。

案ずることはない。心のおもむくままに、生を謳歌すればよいのだ。


2016/09 某日
- MK












2016年10月3日月曜日

NetBarrier(ネットバリア)の必要性


出張... ではなくても、最近はよくいたるところのカフェで Macbook を開いてカチャカチャやっている。
Wifi の環境がめちゃめちゃ進んだので、たいていの場所でなんらかの Wifi をつかまえることができる。
しかし、いろいろ警告が溢れている通り、

暗号化されていない Wifi も多い。

これは通信途中をハックされたら終わりだ。

MacOS にはあらかじめファイアウォールが実装されているけれども、たとえば、ファイル共有を許可するとか、さまざまな設定が必要になる。そしてその設定内容は、自分が今どこにつながっているかによって異なってくる。

NetBarrier(ネットバリア)は、自動的に、今接続している Wifi 環境に最適なファイアウォール設定に調整してくれる。

例えば、下の画面ショットを見てください:

これは、どこかの、初めて接続する Wifi を検出し、そこに接続する直前の確認画面です。
選択肢として、以下の3つが用意されています:
Cafe など、外で Macbook を使用する場合は、私はたいてい「公衆無線LAN」を選択します。
するとなにが起きるかというと、
Macbook のファイル共有が仮に ON になっていたとしても、
外部からのアクセスリクエストはすべて拒否されます。

自らアクセスしたサイトからのリクエストにはちゃんと応えます。

つまり、自分の意思ではないアクセスを、Mac のファイアウォールの設定がどうなっていようと、ブロックすることができるのです。

簡単に要点だけ書きましたが、移動作業、不特定ロケーション作業が日常化している昨今においては、この機能はとても安心です。

実際、私は新しい Macbook を購入した際や、HD を初期化して OS を入れ直した場合など、真っ先にインストールするのがこの NetBarrier(ネットバリア)です。

この機能は OS 自体が最初から内蔵していることが望ましいと思っていますが、現在のところ、そうはなっていません。

ですから、Macbook をお使いで、外へ持ち出して使うことのあるユーザさんは、みなさん、NetBarrier(ネットバリア)を入れてください。

事故が起きてからでは遅いです。
それに、大したコストではありません。

詳細説明:
http://www.tyomac.com/net_barrier_x9/

今すぐダウンロード購入:
http://store.act2.com/intego-netbarrier-x9-1mac-dl-tokyo.html 


関連記事:

【コラム】MacBook・MacBook Air・MacBook Pro のネットセキュリティを自動化しよう


2016/10/03
- MK

2016年9月23日金曜日

まず、理想像を描いてみること。

何か新しいことをしようとすると、
例えそれが既存の業務の改善であったとしても、
よくあるのは「それは◯◯のために難しい...」
という諦めである。

ちょっと辛辣な表現だけれど、言い訳をつけて何もしないのは中学生でもできる。と私は思う。

だから、

まず、一切の先入観を排除して、「こうだったらいいな!」という理想像を描いてみることにしている。

そして、それらを実現するにはどうしたらいいか、という次の思考段階へ移る。

結局、何かの理由で実現できないことのほうが多いけれど、この方法のほうが、はるかに多くの可能性を秘めた発想が出て来る。そして、その中から本当に実現することが出てくる。

つまり、最初から諦めていてはダメだと、私は思う。

世の中、思い通りにいかないことが常であって、それが当たり前であって、
しかしそれに甘んじていては「座して死を待つ」ことに他ならない。

暗い気持ちではなく、楽しい、明るい気持ちで、理想像を描いてみる。

まず、そこから始めよう。

2016/09/23 THU
- MK

2016年9月22日木曜日

初台、阿波踊り

毎年、この時期になると、会社の横の通りで「阿波踊り大会」が催される。
今年もやってきた。

開催前の静かな通り:






今年も提灯を出せた!(うれしい)


さて、始まった。今夜は賑やかだ。





来年、もしまだ生きていたら、参加しようっと。 :D

2016/09/22
- MK

2016年1月19日火曜日

私の悪いクセ(アドリブ)

かように、私には、悪いクセがある。
何かパネラーや講演、プレゼンを依頼されて、スライドなどを仮に用意していっても、話はあっちへ行ったりこっちへ行ったりで、ストーリー通りにいったことがない。

このブログも、本来は、前回の続きのはずなのだが、その前に、また違う話になってしまいそうだ。

昔話をするのは好きではありません。過去は捨てられた。思い出すことに意味はない。

ただ、今朝起きて、ぼんやりと思ったことの一つに、「まあ、よくこれだけたくさんのソフトウェアを日本のマーケット用にローカライズしてきたなぁ」という思いだった。

ローカライズというのは、ただ翻訳すれば良いというほど単純なものではない。昨今は開発ツールが進化したため、はじめから各国語のリソースを用意しておけばよいが、昔はそういう仕組みになっていなかった。さらに言えば、他人が書いたコードを解析して調整していくなんて、気持ちの良い仕事であるはずがない。それはさておき。

一番の問題点は2バイト文字の取り扱い。次に、日本文化への適合。

一つの例をあげると、あるとき、S 社から ACT という製品名の、当時 PIM (Personal Information Management) と言われていたジャンルの英語プログラムの日本語化を依頼された。

渡されたコードは基本的に C で書かれていたので、気楽に受けた。それでも、文字は1バイト文字にしか対応しておらず、従って、ワープロ機能などの調整はかなりの労力を要した。

もっと参ったのはコンタクトデータベースのソーティング(並べ替え)の部分だ。書き直せばよい部分は突き止めたが、辿り着いたその場所は、なんと、当時まだ出たばかりの Z68000 のアセンブラで記述されていた。あの時の「絶望感」は今もはっきりと覚えている。

そもそも68000の資料がない。知人を頼ってなんとかそれを手に入れて、必死で作業した。時間がない中でのトライ&エラーの連続。

結局、完成までは、公言した通り、2週間で仕上げたけれども、その間は、幸い季節が夏だったこともあり、オフィスの床にダンボールを敷いて、ずっと泊まりこみの日々だった。近所に銭湯があったのは助かった。

そんなようなことがいくつもあり、今の開発環境を見るにつけ、うらやましい限りだ。

反面、便利になりすぎて、アプリは作れてもコンピュータの動作原理を理解していないプログラマも見かけるけれど、もう、それはそれでいいのかもしれない。時代が違うのだ。

ただ、欧米では、幼稚園のころからすでに「コンピュータの仕組みとプログラミング」を教えているところが増えてきているのはどういうことだろう。

人工知能、脳科学、などなど、未知の分野でますますコンピュータパワーが必要とされる時代が来ていることを意味しているのだろうと思う。

それにしても、コンピュータの、基本的アーキテクチャが変わらない限り、劇的な変化はなさそうだ。

そんな中で量子コンピュータの実用化の話が現実味をおびて浮上してきている。その時、本当に、劇的な変化が起きると、なかば確信している。

今は、ちょっとした閉塞感、行き詰まり感があるけれど、階段の踊り場にいるような段階であって、遠からず、コンピュータそのもののあり方が変わると思う。

それをどう使うか。そこがまさに人間の「叡智」を試される時だと感じる。

話が脱線しましたが。
2016/01/19
- MK

2016年1月18日月曜日

前回の続き... (放浪の記録)

そのパネラーの方は、モバイルの危険性について訴求されていた。
iOS も例外ではなく、
「ほら、こうすれば、あなたの名前どころか、あるサイトへの Login ID や PW まで平文のまま保存されているのがわかります。もし、これをハックされたらどうしますか?」
というドキッとする内容だった。

セキュリティの問題には、終わりがない。
古来、暗号化と解読が歴史を作ってきたように(それはサイモン・シン先生の書かれた The Code Book に詳細に記載されています)、どこまで行っても守る側と破る側とのせめぎあいは続くと思う。

今日のように、 IT による情報ネットワークがインフラとして定着した場合、そのセキュリティの重要性は尋常ではない。

私ごときが言うべき言葉ではないことを承知の上で書くと「国益にかかわる問題」と言える。

 この話はいったんここで区切っておいて、そう、6月以降、7月の状況について記述したく思います。

以下、次回に続く。

2016/01/18
- MK

2016年1月17日日曜日

社長ブログ再開宣言

最後に書いた日付を見ると、なんと、2015/04/19 になっている。

同年 04/09 には「必ず毎日書く!」と宣言しておきながら、2週間後からパッタリ止まってしまっている。

よくないですね。実によくない。言ったことを実行しないのは全くよくない。

言い訳をさせてもらえるとすれば...

ちょうどその次期に、ハミングヘッズさんから「米国の代表を勤めてもらえないか」との打診があり、そこから超多忙な日々に突入したのです。


私は、ずっと、有り難いことに多くのお客様に恵まれて、海外からソフトウェアを輸入する形のビジネスをしてきました。
心の中には、「いつか From Japan to the world をやってやる」という思いがあったのですが、いかんせん、もはや自分に開発力はなく、諦めかけていた時に、降って沸いたような話でした。

先方の O 社長とも、一、二度じっくり話をしただけで意気投合し、即刻 GO がかかり、 引き返すわけにはいかない。

しかし、そもそも同社の海外対策がどのレベルにあり、どういう状況かの情報もない。その話があった2週間後(5月)には、サンフランシスコでRSA(現在世界一大きな IT セキュリティのイベント)に出展するという。

今思い返すと、まあ、よくそんな無謀なことを、と思う。

その後、6月には単独で、サンフランシスコを拠点にする ISC2 のイベントに参加。Defense Platform のプレゼンを行ってきた。これの準備もキツかったが、ここでのオーディエンスの皆さんの反応の良さに、「いける」という確信を得た。

この ISC2 のメンバーは本当にプロフェッショナルな人たちの集まりで、私の次の人は、iOS の脆弱性について詳細に語り、その内容には私も驚いた。

以下、つづく。。。

2016/01/17
- MK

毎日は無理としても、書きたいことがたくさんあるので、なるべく書きます。